ポラントリー市発

担当:マルキ明子さん
出身:大阪府
趣味:ロック音楽、読書、映画鑑賞、古都巡り |
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発信地 ポラントリー市
日 時 2004年5月10日
天 気 冬空だが明日は快晴らしい?
特派員 マルキ明子
題 名 生涯で最高の夕べ
ニュ−ス
5月8日というのにジュラ州フランシュ・モンターニュ地方は吹雪!
そんな中、私と夫は県庁所在地セニュレジェ市の「ソレイユ」というカ
フェに到着しました。ジュラ州の文学団体主催「日本文学の夕べ」に参加
する為です。和風料理を食べながら日本文学のフランス語訳の朗読に耳を
傾けるという企画で、主催者の1人である新聞記者さんの取材を受けた時
に、お話をいただきました。持ち時間10〜15分ほどで、何か喋って欲しい
と言うこと。私は自分で台本を練り、家族を前に練習を重ね、当日に臨み
ました。自己紹介→自著の内容→日本語のつくりの説明→日本語・日本文
化の現代の傾向→百人一首の紹介に絞りました。その後、私が俳句と短歌
を数首ずつ読み、夫がフランス語訳をすることになりました。
会場であるカフェの二階は、薄暗い照明で壁に陶製の絵画がかかり、芸
術的な雰囲気。この絵画の製作者は和風食器も手がけていて、寿司(バー
ゼル市の日本食料品店 ≪ Mikado ≫で購入)は彼の焼いた皿に盛られていま
した。また、舞台上には机と椅子とマイクが用意されていて、照明・音響
係の方もおり、プレゼンテーションしやすい環境を整えて下さっていまし
た。文学の朗読は主催者が交代で担当します。
お客さんは40人ほど。まず、お猪口に注がれた日本酒または麦茶(砂
糖入)で乾杯。キャラメル風味のおかきがおつまみ。その後、皆は着席
し、ラフカディオ・ハーンの「怪談」の朗読です。前菜の寿司を食した
後、いよいよ私と夫の出番です。
いざ始まってみると、緊張することなく話せました。俳句や短歌の朗読
では、お客さんが熱心に耳を傾けてくれていると会場の反応を伺う余裕も
出ました。拍手が聴こえた時は本当に感激しました。私の人生で最高の瞬
間の一つと言えるでしょう。終了後、「日本のポエムを是非うちの小学校
で紹介したい」と興味を持ってくれた先生もいました。
続いての朗読は谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」。メインはエビの天ぷらと伸
びてパスタのようになったきし麺?です。(日本食に関しては主催者の方
に全く任せていた為、完全な日本料理というわけではありませんでした
が、それなりにお客さんは満足していたと思います)道元禅師の「典座教
訓」(料理自体が修行であるという説教)の朗読では、禅寺で求められた
あまりにも過酷な料理法が大げさだと取られたようで、笑いを誘っていま
した。デザートは抹茶アイス。非常にまろやかで美味にもかかわらず、お
客さんの反応はまちまちでした。最後は川端康成の「眠れる美女」。原語
を理解しない人にとっては訳の良し悪しが判断の全てですが、この翻訳者
は気品ある文章で、すんなりと川端の世界に溶け込めるフランス語を書い
ています。青年の真摯な朗読は会場の感動を呼び、正に読み手と聴き手の
心が一体となった瞬間がありました。
会は無事、終了しました。主催者や夫の助力もあり、私のようなもので
も務めを果たせて満足です。この団体は主にジャーナリストや芸術家の方
々で構成されていますが、堅苦しい雰囲気は微塵も無く、様々な種類の
ジョークが飛び交い、片づけが終わった後、カフェが閉まる午前2時まで
盛り上がりました。日本文学を通し、彼らと知り合えたことを光栄に思い
ます。私自身、これからもスイス・日本双方の文化・歴史の勉強を続け、
微力ながら両国の架け橋になりたいと決意を新たにしました。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年5月3日
天 気 快晴だが明日から下り坂らしい
特派員 マルキ明子
題 名 古代に思いを馳せる
ニュ−ス
昨年10月20日付のニュースで「レクレーの洞窟」を紹介した際に
少し述べた、同敷地内にある「Prehisto-Parc」(先史公園)についてご
紹介します。
日曜日、友人家族をお招きしました。昼食後、ポラントリー市から車で
15分ほど走り、レクレー村に着きました。ここまでは洞窟コースと同じ
です。敷地内には先史公園の他にレストラン・ホテル・キャンプ場・バー
ベキュー施設がありますが、全てGigandet(ジガンデ)さん一家が経営
しています。木造りの真新しい建物が公園・洞窟双方の入口です。ここで
入場券を購入してから入ります。両施設組み合わせた券も売っています。
一歩出ればそこはもう森の中。標識に沿って歩くと、実物大の古代生物・
恐竜があちらこちらに現われます。(某アメリカ製テーマパークではない
ので、機械仕掛けではありませんが)立て札にはフランス語とドイツ語で
説明が書いてあります。巨大な魚や虫から大きな恐竜、そして現代に近い
動物へと辿ることが出来ます。暖かく、天気の良い季節は最高で、森林浴
にもなるコースです。何せうっそうと木々が茂っていますので、程好く涼
しく、ほぼ自然に近い道を時間制限無しで歩きながら恐竜についても学べ
るのですから。昼食・洞窟コースと組み合わせれば、丸一日つぶれるでし
ょう。
恐竜の滅亡について色々な説が飛び交っていましたが、聞きかじりの最
近の研究結果を引用します。巨大隕石の落下により、(その落下跡も存在す
るらしい)ガス(チリ)が空一面を覆って長期に渡って太陽を遮った為、
地球が氷河期に突入しました。その結果、より多くの食物を必要とした恐
竜から次々と絶滅していったということです。そう思って見ると、Tレッ
クスなどの恐い肉食恐竜も、哀れに思えました。(決して現代に復活して
欲しいとは思いませんが)
コースの最終地点に、裂け目のような、大きな竪穴が空いています。こ
れは、最初に発見された鍾乳洞窟への入口です。縦19mの深さで、底部分
から横穴が伸び、洞窟へと繋がっています。この穴が何かよく分からなか
った時代は、農民が、ゴミや疫病で死んだ馬を捨てていたそうです。死
んだ動物の骨から肥料を取る為に、専門業者が悪臭をものともせず下りて
いったそうですが。また、鍾乳石の勝手な売買も行われていたようです。
1886年、本格的に洞窟調査が始まり、その後、次第に観光化されていき
ました。現在の施設が出来たのは、ほんの10年ほど前のことです。
先史公園はゆっくり歩くと40分ほどの道のり。また出発地点に戻って
きます。建物内には現代の動物・鳥類のはく製が置いてあります。また、
古代大陸移動の説明など、地質学のコーナーもあります。国境地方におい
での際は、是非訪ねてみて下さい。下記のHP(フランス語のみ)の三角
印の一番がレクレーですが、スイス各地の鍾乳洞へのリンクも載っていま
す。
http://www.swissgrottes.ch/situF.htm
また、レクレーの公園・鍾乳洞の開場時間・入場料金表はこちらです。
http://www.swissgrottes.ch/REC/praticRecF.htm |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年4月16日
天 気 いきなり夏日?
特派員 マルキ明子
題 名 東スイス旅行記・その2
ニュ−ス
旅行三日目。この日が一番「日本人観光客らしい」、移動の多い一日で
した。初日、ハイジ小屋コース上で出会った日本人男性が親切に教えて下
さった通り、ブックスからバスに乗ってオーストリア国境の町、フェルト
キルヒに行きました。スイスでは知らない人はいない黄色いポストバス。
これが国境を越え、リヒテンシュタイン公国を横切り、オーストリアまで
行くのです。片道約40分ほど。路線バスなので、地元の人も乗り降りしま
す。リヒテンシュタインはスイスの続きのよう。同じスーパーマーケット
があり、家の造りもよく似ています。オーストリア国境の税関に着いた途
端、国境警備員が威厳たっぷりにバスの中に入り、客一人一人にパスポー
トやIDカードの提示を求めました。私のパスポートを珍しそうに眺め回
すお兄さん。写真の私は髪を切って染める前なので少し不安になり、「こ
れ、私です」とにんまり笑うと、彼もちょっと笑ってうなずいて返してく
れたのでほっとしました。
「フェルトキルヒからリヒテンシュタインの首都ファードゥツへ直行バス
がある」という情報以外何も無くフェルトキルヒに辿り着いた、少し無謀
な私達。バスの時間を確認すると、滞在可能時間が1時間弱。早足で駅か
ら旧市街に行き、聖堂教会を見て、古い建物をカメラに収めました。典型
的な日本人団体観光客のよう。時間があったらもっと散策していたかった
ぐらい、素敵な町並みでした。それからはまた快適なバスの旅。さすがに
旅行疲れが出たのか、娘達はいつの間にかうたた寝していました。
リヒテンシュタインで一番印象深かったもの・・・丘の上から町を見下
ろすファードゥツ城でもなく、様々な種類の美しい切手でもなく・・・美
術館の一階に位置する、ガラス張りの寿司店でした。一見するとお洒落な
カフェのよう。店と背中合わせに、インフォメーション兼美術書販売コー
ナーもあります。日本人の若い板前さんが握ったお寿司は、ヨーロッパの
山国にいるとは思えないほど新鮮なネタで、御飯も美味しく炊き上がって
いました。帰りがけにその板前さんと少しお話しました。以前はジュネー
ヴやチューリッヒなど、スイスの各都市で働いていたとか。「どこの町が
一番お気に入りですか?」と聞いたところ、「ここですね」ときっぱり。
リヒテンシュタイン唯一の寿司バー。これから益々繁盛しますように!
パイオニア精神で頑張って下さい!
旅の最終日はゆっくりとクール市内を歩きました。博物館も美術館も、
解説はドイツ語のみ。町で出会った人々は分かりやすい英語を話してくれ
ましたが、私は出来るだけドイツ語を話すようにしました。かつては週に
二時間ドイツ語コースに通っていた私ですが、今ではレストランの注文や
挨拶が精一杯。でも、この旅は私の勉強意欲を大いに掻き立ててくれまし
た。美しい自然や町の景色に触れ、人々の親切さに感銘を受けたことも、
何よりの収穫です。雪を頂に抱きそびえ立つアルプスに囲まれる町や村。
絶景と言えど、冬はかなり厳しいだろうと想像するに容易い・・・にもか
かわらず素朴で暖かい人々。ヴァレー州でしばしば受ける印象と全く同じ
なのです。厳しい環境は人の英知と美しい精神を育むのでしょうか。スイ
スを縦断し、全く異なる言語圏・文化圏への大移動。一段とこの国に愛着
が湧き、語学を含む様々な文化をこれからも学んでいきたいと改めて思わ
せてくれた、大変有意義な旅でした。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年4月9日
天 気 今にも泣き出しそうな空模様
特派員 マルキ明子
題 名 東スイス旅行記・その1
ニュ−ス
二年ぶりに両親がスイスに来ました。今年二人は70歳。まだまだ旅行
好きの彼らと連れやすくなった娘二人と、三泊四日の旅にでかけました。
行き先は、私にとっても未知の地域、東スイスのグラウビュンデン州。ポ
ラントリーから州都クールまではバーゼル経由で約4時間。この長旅を少
しでも快適に過ごそうと、バーゼル発クール行きは、「ファミリーカー」
車両連結の電車を選びました。中はがらがらに空いていて家族連れが二、
三家族だけ。ソファを確保した私達は悠々と昼食を食べ、子供は滑り台等
の遊戯施設で終点までずっと遊んでいました。小さいお子様のいる家族に
お勧めです。時刻表の時間の横に、FAと書いてある電車にこの車両が連結
されています。
クールに着き、即チェックイン。Romantik Hotelチェーンの「Stern」
というホテルでしたが、大人3名子供2名ということで、2LDKのアパー
ト式の部屋を割安であてがってもらいました。父母と私は一室ずつ。子供
はTVのある応接間のソファベッドに寝ました。ここに三泊し、毎日近場
に日帰り旅行という計画です。
この日、ハイジの里で有名なマイエンフェルトに行きました。クールか
ら電車で二駅。駅前からひたすら山の方角に向けて上ります。古い建物が
並ぶ村を通り抜けるとブドウ畑が広がり、雪を頂いた山が目の前にそび
え、振り返ると可愛らしい古都が見下ろせます。絶景に何度も足を止めま
した。普段は「都会が好き」と生意気な私さえも、「生きていて良かった」
と心から思えました。かわいそうだったのは心臓のあまり丈夫でない母。
上り坂が辛く、休み休み上りました。「ハイジの泉」はそれほど魅力的で
なく、寄り道を後悔。そしてそれからが大変。森林の中をひたすら上るの
ですが、「約45分の行程」の筈が、私達には2時間以上となってしまい
ました。しかし母は、「ここまで来たらハイジの小屋を見んとな」と頑張
り抜き、オーバーローフェルス村に辿り着きました。当時の山の生活が、
素朴な家屋の中にそっくり再現されているハイジ博物館を閉館ギリギリに
見学し、売店で飲み物を買ってリフレッシュ。その後は小雨混じりの中を
帰途に着きました。
夕食は郷土料理が美味しいホテル内のレストランにて。日本語メニュー
あり。ベジタリアンメニューも充実していました。私が食べた団子のハー
ブ包みミルク煮はあっさり目で美味しかったです。地方ゆかりの画家カリ
ジェの絵柄のランチョンマットは記念になると某ガイドブックでお勧めの
通り、汚さないように持って帰ろうとしていたら、ウェイトレスさんが人
数分、新しいものを持って来てくれて感激。フロントの女性を初め、従業
員さんが皆、親切で感じ良かったです。
翌日、電車で三駅のバッドラガッツへ。温泉保養地ですが、水着を持参
していない私達は、施設を取り囲む広大な公園を散策して過ごしました。
渓谷も旧温泉跡に建つ博物館もシーズン外で休業中。残念でしたが、前日
のマイエンフェルトと違って観光ずれしていない、ごく普通の、しかし風
光明媚なスイスらしい町の魅力を堪能しました。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年3月29日
天 気 快晴で気分爽快
特派員 マルキ明子
題 名 村のエンターティメントよ永遠に!
ニュ−ス
翻訳の仕事が入って猛烈に忙しかったため、一週間お休みしました。
26日(金)・27日(土)の夜、夫の出身村メルヴェリエのブラスバ
ンド定期演奏会がありました。会場は村の小学校の体育館。
金曜日は公開練習も兼ねた「子供のための演奏会」ですが、大人も参加
できます。無料招待という太っ腹。私は去年同様、娘二人と姪二人を連れ
て行きました。ところが彼女達を入れても子供の数は10人ほど。付き
添いの大人を入れても20人に満たないという淋しさでした。義妹の話で
は、彼女の幼い頃は子供で溢れ返るほど会場は大入り満員で、演奏の合間
に寸劇もあり、毎年楽しみにしていたそうです。ラジオでのCMは数日間
流されたそうですが、「幼稚園や小学校にビラを配ったりして宣伝しなけ
ればならない。バンド自体が努力しなければ人は来ない世の中だ」とは夫
のコメント。昔と違い、親子共々、村の催しに参加せずとも、家の内外で
何らかの娯楽があるからでしょうか。
子供のためと言っても、プログラムは同じ。翌日の本番に向けて度胸試
しも兼ねている「練習」なので、演奏中に指揮者の叱咤激励が飛び、厳し
い光景にはこちらの身も引き締まります。しかし、その指揮者自らが曲目
を紹介してくれるという贅沢さ。そして、普段は連れて行きにくい小さな
子供をコンサート慣れさせたり、楽器に親しませる絶好の機会です。この
ブラスバンドは人口500人の村にしてはレベルが高く、代々ミュージシ
ャンという(ちなみに夫は三代目)才能有る一家が沢山おり、ヨーロッパ
選手権優勝者を二人も擁しています。この輝かしい伝統を絶やさないため
にも、来年は宣伝活動にもう少し力を入れてもらいたいです。
土曜日は子供を預け、私は日本人女性xスイス人男性という取り合わせ
の二組の友人達を招いて一緒に鑑賞しました。さすがに会場は満員。同じ
曲目ですが、紹介アナウンスは村の美人さん。指揮者も寡黙で、舞台上は
昨日と違った緊張が漂っています。会場は長テーブル席で、お酒をちびり
ちびり飲みながら鑑賞できる、少しリラックスした雰囲気も漂っています
が、村レベルのコンサートでは普通のことです。欧州チャンピオンのオリ
ヴィエ・マルキさんのアルトソロ演奏は、まるで心に直接語りかけてくれ
る美しい言葉のようで、いつも涙が出てしまいます。彼は作曲家としても
頭角を現しつつあります。
さて、演奏が終わると、今度はバンドがホストとなって私達を楽しませ
てくれます。無料でお酒とおつまみが振る舞われたり、一枚2フランのく
じを子供ミュージシャンが売り歩き、商品券が当たる抽選会を催したり。
また、会場の一角に怪しい幕を張り、中で色とりどりの照明を凝らしたお
洒落なバーを経営していました。私と夫はその中で村の人と話し込んでい
たのですが、気がついたら午前3時。演奏者の夫も鑑賞者の私もふらふら
になりましたが、充実した連続二夜に満足して帰宅の途につきました。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年3月16日
天 気 快晴
特派員 マルキ明子
題 名 本当の「Happy Hour」
ニュ−ス 「Starlight」は冬場、ポラントリー市に本拠地を置くサーカス団です。
サーカスというと猛獣が出てきたり、長距離の空中ブランコといった大仕
掛けな印象が強いですが、このチームは小規模なテントの中で人間のみが
芸術的とも言えるアクロバット技を見せます。むしろ「雑技団」と言う呼
び名がぴったりです。サーカス団一家に育ったガッサー夫妻を団長とし、
スイス・カナダ・カザフスタン・ロシア・フランス出身の団員から構成さ
れています。(2004年現在)団長夫妻の長男はカナダ・モントリオールの
国立サーカス学校で修業し、その時に知り合った友人や振付師をチームに
招いたり、スイス人の舞台演出家と構想を練るなど、サーカス団としての
可能性を広げました。
今年のテーマは「Happy Hour」。アングロ・サクソン民族の伝統におい
て、酒場にもうけられたこの時間は、お酒二杯を一杯の値段で飲めるそう
です。(ル・クォティディアン・ジュラシアン紙参照)仕事帰りの若者で
賑わうバー、という分かりやすいストーリー展開。彼らは男女の駆け引き
をしつつ、各々の曲芸を見せ合います。ダイナミックな力業は、勿論、観
客の目を引きつけますが、各々の体のしなやかさを利用した芸術的な要素
を含む演技もあり、バラエティに富んでいて飽きる暇もありません。若者
達が音楽にのって踊る様はまるでミュージカルを見ているようです。団長
夫妻の末娘ジェシカちゃん(9歳)も妖精役で登場。この小さな体のどこ
に力が隠されているのかと思うほど、男性の腕二本だけに支えられ、空を
切って回転し、逆立ちをします。一番最後の演技は、正に手に汗を握るも
のでした。演技者(男女各一名)が、男性二人が持つ平均台(しなる板)
の上を数メートルも飛び跳ね、回転し、全く命綱無しで板の上に着地する
のです。持ち手が落下点まで若干移動するとは言え、双方が訓練を積んで
いなければ演技者は地面に叩きつけられ、重傷は免れません。私は思わず
日本語で「凄い凄い!」と叫んでいました。
道化師はマリー・エレン。お決まりの赤鼻をつけ、色っぽいウェートレ
スの格好でドタバタ歩き回り、何とかして男性の目を引きつけようと四苦
八苦します。観客の男性の手をかり、空中ブランコに抱え上げて載せても
らってご機嫌になったものの、落ちそうになって大騒ぎ。各シーンごとに
ドジを踏み、舞台セット転換中も彼女が場繋ぎ役で出てくるので、最後ま
で笑わせてくれました。
地元だけあって、最後は拍手が鳴り止まず、挨拶に出てきた団長夫妻も
感激しているようでした。これから彼らはスイス全国約70箇所を巡業す
るのです。「2005年3月にまたここで会いましょう!」と嬉しいお言葉。
彼らは「サーカス団員と共に移動する休暇(団員使用のキャラバンで宿
泊)」や、「子供の為の休暇(宿泊とサーカス体験入門付)」を主催してい
ます。「Starlight」の活動と個性的な休暇に興味のある方はサイトを訪れ
てみて下さい。http://www.circus-starlight.ch(仏・独語のみ) |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年3月10日
天 気 晴れのち雪
特派員 マルキ明子
題 名 ジュラ州からヨーロッパへ
ニュ−ス
個人的事情でしばらく連載をお休みをしておりましたが、復活です。
3月6日、ポラントリー市に隣接するフォントネ村で、管楽器ソロ奏
者・アンサンブルのジュラ州コンクールがありました。毎年この季節に開
催され、優勝者と準優勝者はスイス全国大会、更なる優勝者はヨーロッパ
大会への参加資格があります。ちなみに過去の実績として、ジュラ州予選
優勝→スイス国代表オリヴィエ・マルキさんは(夫の村出身で友人だが親
戚にあらず)アルト奏者としてヨーロッパチャンピオンに輝いています。
年齢、金管楽器か木管楽器、ソロかアンサンブル(トリオやカルテット等
少人数形態でのバンド)と細かくカテゴリーが分かれています。普通はピ
アノ伴奏をつけます。(費用は自分持ちでピアニストに頼む)私が見に行
ったソロ部門でのお話をしましょう。
「中級レベル」木管楽器部門での出来事。ある女の子が緊張のあまり、泣
きべそをかきかき演奏。ミスを連発しつつ何とか終えた時は私も汗をかい
ていました。別の女の子は途中でつっかえて演奏を中断。どうしてもそれ
以上続けられず、しまいには呼吸困難に陥っているように見え、観客を冷
やりとさせました。「上級レベル」金管楽器部門の参加者は、レベルの高
いバンドで演奏しているミュージシャンがほとんどで、さすがに堂々とし
ています。平均年齢はいずれも20歳前後。ジュニア部門(16歳以下)と
それほど年齢差はありません。しかし、自分のパート以外、少しぐらいは
休む時間もあるブラスバンドでの合奏と違い、当然のことながらソロはほ
ぼ吹きっぱなし。どんなに熟練した若者も、最後の方には疲れが見え、非
常に過酷な試練とも言えます。
大会主催者はフォントネ村のブラス楽隊。朝早くから深夜までメンバー
で手分けをして会場係として奮闘していました。彼らはまた会場近くの小
学校で、簡易食堂も経営します。ちゃんと3,4の定食を作り、素人なが
ら手際も良く思えました。毎年、裏方さんの仕事を一手に引き受けている
ということに尊敬を感じます。彼らあってこそ成り立つ大会です。
そして、主役のミュージシャン達。失敗しても辛い点をつけられても、
若い時の貴重な経験は人生の糧となることは間違いないでしょう。一生懸
命演奏する若者達を見て、「まだまだ地球の未来は捨てたものじゃない」
と考える私は単純な楽観主義者しょうか? 8日の新聞に授賞式の写真が
掲載されていました。ずらりと並んだ若者・・・でも、もっと上の世代の
参加もあっても良いのでは? 家庭や仕事でコンクールどころではないと
いう理由は分かりますが、もう一度夢を追いかけても良いのでは? 見逃
しましたが、アンサンブル部門はたった三組の参加。あるブラスカルテッ
トが僅差で優勝しました。実はカルテットを組んで大会参加を目論んでい
た夫は、他の仲間が乗り気でなく、断念せざるを得ませんでした。「出場
したら優勝はもしかして貴方だったかもね」と思わず言ってしまいまし
た。来年に期待? ベテランパワーを見せて欲しいです。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年2月23日
天 気 この冬一番の豪雪
特派員 マルキ明子
題 名 やっと巡り会えた「運命」
ニュ−ス
ジュラ州にはオペラハウスや大きなコンサートホールがありません。コ
ンサートは大抵、展示会場や市町村の体育館、公民館、教会などで開催さ
れます。そのせいか、オーケストラのクラシックコンサートは滅多にあり
ません。高度なブラスバンドもかっこいいし、村のファンファー(ブラス
楽隊)も雰囲気が和やかで楽しい、でも、たまには他の州に出かけず、地
元でオーケストラが聴きたいと常々思っていました。
この週末、そんな私の願いを叶えてくれた「Orchestre de l’Atelier」。
アトリエのオーケストラとは何か? ヴァイオリン奏者のマルタンさんが
中心になり、プロのミュージシャンを集めて、時代に忠実な音色を出すと
いう面白いオーケストラです。(現在は音叉440ですが、19世紀は音叉
430−435で、より調和の取れた豊かな音色だということ)今回の演奏曲
がベートーヴェンの第八(これは私にとって未知の曲目)、第五交響曲
(ご存知、「運命交響曲」!)ということもあってこれは良い機会だと9
歳と6歳の娘も伴い、家族全員で行きました。
会場は州立高校に付属する元・イエズス会礼拝堂。フランス革命軍によ
り壁画が損傷を受け、「革命にふさわしい本」を並べた図書室に改造され
ましたが、現在は公民ホールとして蘇りました。コンサートホールとして
建設された建物ではありませんが、ホール内にあるパイプオルガンは、ヨ
ーロッパ中からやって来るオルガン奏者が、CD等の録音に度々使用する
ということですので、音響も悪くないのだと思います。
当日券(40フラン=3300円ぐらい)で、席は後ろの方。ジュラ最
高峰のブラスバンドECJ(11月の連載ニュース参照)のコンサートで
も20フランほどですから、かなり高いと言えるでしょう。子供が無料で
しかも席がある、というところは太っ腹でほっとしましたが。
演奏の内容は・・・最初の第一音から、背筋がぞくぞく。規模は小さめ
ですが、これがオーケストラだという迫力が伝わってきました。特に「運
命」には大感動。小さい頃、父がこの曲の入ったレコードを何度と無く回
していたせいか、全ての楽章を覚えていたことは自分でも驚きでした。三
十数年目にして、やっと「運命」に出会えました。
夫曰く、「名士が多くてびっくりした」。私が気づいたのは州・教育担
当大臣のエリザベートさんぐらいでしたが。新聞で見るよりずっと可愛ら
しい感じの女性で、ミーハー心をくすぐられた私はこちらでも感激してい
ました |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年2月16日
天 気 快晴
特派員 マルキ明子
題 名 冬の娯楽 その2
ニュ−ス/第十八回
ジュラ州は先週一週間、「白い」休暇でした。今回は「計画を立てた方が
良い」娯楽の類い、スキー旅行・ヴァレー州モルジャン村での(Morgins,
Valais)アパート滞在についてお話したいと思います。
モンテー(Monthey)で高速を降り、山道に入ります。ひたすら続くヘアピ
ンカーブを上りきると、可愛らしい木造の家がぽつりぽつりと見えてきます。
モルジャン村の長期滞在者用アパートです。(村へはバスも運行していま
す)
宿泊価格は、一週間単位、そしてシーズン毎に細かく区切られています。
私達が泊まったアパートは、ハイシーズンの値段で一週間760スイスフラ
ン(6万円強、清掃費込)。アパートの各部屋は個人が所有し、彼らが滞在
中でない週は不動産屋さんを通して賃貸しています。客は土曜日の午後、
不動産屋さんで鍵を貰って入室し、次の週の土曜日の10時までに鍵を返
す決まりです。私達が借りた部屋はキッチン付きリビングと寝室の二部屋。
TV付き。どちらも広々しています。リビングのソファはダブルベッドになり、
寝室にはダブルベッドとシングルベッド。トイレ付きバスルーム1、トイレ1。
バルコニーも広く、夏期休暇にも最適です。(夏期はほぼ半額の値段)細々
とした日用品は備え付けられていないか有料の場合が多いので、なるべく
持参する方が良いでしょう。(トイレットペーパー、石鹸、食品類は無し。但し
鍋や食器類は自由に使って良いので自炊可能。マットレスと布団はあるが、
布団カバー、シーツやタオルはあっても有料。村内にスーパーが二軒あり、
大抵の食料品と日用雑貨は揃っている)駐車場はアパート前にあります。
レストランも多々あり、従業員は親切で食べ物も美味しいのですが、値段は
少し高めで、節約したい方には自炊をお勧めします。
メインリフトは村の中央にあります。滑る日数やゲレンデ(フランス方
面を含むかどうか)によっても券種・価格が違うので、あらかじめ確認し
ておくと良いでしょう。(ゲレンデのHP : www.telemorgins.ch tarifs
hiverをクリック)家族連れの場合、身分証明書を見せると割引がありま
す。三人乗りリフトに乗って目の前にそびえる山を上りきると、真っ青な
空に映える広大なアルプスの山々が目の前に開けます。その中でも一際目
立つ「ダン・ドゥ・ミディ(Dents du Midi)」(3257m)。「ダン」は尖峰という
意
味もありますが、本来は「歯」という意味で、本当にギザギザの歯に見える
不思議な形です。ここからリフトやゲレンデ伝いに国境を越えればフランス
のアヴォリア(Avoriaz)スキー場まで繋がっています。この辺りのスキー場
一帯を「ポルト・ドゥ・ソレイユ(太陽の扉)」と言い、その名に恥じない絶景
を留めています。
四時を過ぎれば日が翳り、寒くなってくるので、リフトは最終運行が4
時半ぐらい、とかなり早めです。その後は村に下り、カフェに入って仲間
とお喋りに興じたり、買物をしてアパートで夕食の支度をしながら寛いだ
り、と様々な楽しみ方があります。村はスイス人とお隣のフランス人に混
じり、遠くオランダやベルギーから来た人々で連日賑わっています。モル
ジャン村のHP : www.morgins.ch (仏・独・英語、宿泊施設の案内有り) |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年2月9日
天 気 快晴
特派員 マルキ明子
題 名 ジュラ州・冬の娯楽 その1
ニュ−ス
スイスの冬の娯楽と言えばまずスキーを思い浮かべますが、ジュラ州に
は小さなスキー場があるだけで、本格的なアルペンスキーを楽しみたい場
合には、ヴァレー州・ベルン州など遠方に出かけなければなりません。早
朝に車で出発すれば日帰りも不可能ではありませんが、じっくり楽しむに
はせめて数日間は滞在したいもの。宿泊費・飲食代・リフト代など考慮す
ると、かなり高額な休暇と言わざるを得ません。二月から三月にかけて、
州によって日にちは異なりますが、フランス語で「白い週」と呼ばれる一
週間の学校休暇があります。家族連れでスキー旅行に出かけられれば理想
的ですが、職場の全員が仕事を休めるわけも無く、ホテル・貸しアパート
は予約だけで既に満室ということも多いので、前もって計画を立てる方が
賢明です。
では、他にもっと気軽に近場で楽しめる冬の娯楽は? まずは地方新聞
をじっくり読んでみることです。11月にニュースをお届けした市町村の
ブラスバンド「ファンファー」の定期コンサートはこの季節に多く、ま
た、各ジャンルの音楽会・ライブが必ずどこかで行われています。地元ア
ーティストによる個展も充実しています。日曜日、私達は偶然チラシで見
た「世界の爬虫類展」に行き、何十種類もの生きた蛇やトカゲを見てきま
した。大蛇を首に巻いて一緒に写真を取るコーナーもあり、子供達は大喜
び。展示会場は大入り満員の盛況でした。もう一つの冬のスポーツ、「ア
イスホッケー」もポラントリーを中心としたアジョワ地方が人気チームを
所有し、地元での試合は常に満員だそうです。しかし、それらの催しを押
しのけ、圧倒的に目立つ広告の文字は「LOTO」、次に「JASS」。週末の
広告欄の大半を占めています。
「LOTO」(ロト)とは、ビンゴゲームに似ています。週末、数多くの市
町村で催されています。会場に到着し、主催者(サッカーチームやブラス
楽隊などのグループ)から(例えば4枚50スイスフラン=約4000円)
カードを買います。カードには1から90までの数字が15つ、縦3x横5
でアトランダムに並んでいます。横長のテーブル席に座り、ゲーム開始。
読み上げられる数字がカードにあった人はそこに小さな印(プラスチック
製で透明の板など)を置きます。印は会場が用意していますが自分専用の
印を持参のツワモノもいます! 最初に、横に5つ並んだ人は「キン
(Quine )!」と叫び、賞品を貰います。次に、横に5つ、二列並
んだ人は「ドゥブル・キン(Double quine)!」と叫んで少し良い
賞品を貰い、最後に全部マスが埋まった人は「カートン(Carton)!」
で最良の賞品。これが25回ほど繰り返されます。賞品は様々。マウンテ
ンバイクや海外旅行券のような豪華賞品もあれば、食料品が一杯詰まった
カゴやハムの塊・数キロなど、素朴でも主婦にとっては嬉しいものもあり
ます。同時に複数の人が叫ぶと、呼び集められ、くじ引き。引いた番号の
一番大きい番号の人が賞品を貰えます。残りの人は「お慰み賞品」として
何かいただける場合もあります。先日参加した娘は「カートン」だったも
のの、番号引きで負け、総計10フランほどの食料品をいただきました。
ささやかな幸せですね。翌日、娘は幼稚園で「私はLOTOでカートンを
勝ち取ったのよ」と自慢したらしいです。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年2月2日
天 気 曇り
特派員 マルキ明子
題 名 難民の道
ニュ−ス
サミュエル君(仮名・25歳)はアフリカ・アンゴラ国の元・士官で
す。2002年8月、スイスに難民として受け入れられました。内戦が終
結した今、2004年2月2日にアンゴラへ帰還するようにと通達を受け
取りました。彼はスイス在住を申請し続け、これまでに二度却下されまし
た。彼が故郷に帰りたくない理由は、平和な生活に慣れきった私達の想像
を絶する体験からきています。(一部、2004年1月29日付ル・クォティ
ディアン・ジュラシアン紙参照)
1999年、僅か19歳の彼は故郷の村を破壊するように命令を受けまし
たが、拒否した為、大佐と喧嘩になり、顔をひどく殴打されます。数年
後、反政府軍の傘下に収められたアンゴラ兵は過酷な戦闘に巻き込まれま
す。サミュエル君は腐敗した上官と口論の末、銃を抜こうとした彼を先に
撃ち、逮捕、投獄されます。やがて反乱軍が降伏した事で恩赦を受け、囚
人達は公式には「故郷に帰る」為にトラックに乗せられます。しかし行き
先は森。囚人は次々と銃殺されました。虐殺者の一人がサミュエル君のか
つての部下だったことで、彼は幸運にもそっと逃してもらったそうです。
アンゴラに帰れば再び拷問者の手に落ち、最悪の場合、処刑されるので
はないか・・・サミュエル君は危惧します。サミュエル君はスイスに来て
からフランス語を学び、ドレモン市の看護学校で勉強して準保健衛生士の
資格も取得しました。私は直接サミュエル君を知りませんが、私の知り合
いは、「真面目で気のいい男だ。酒も煙草もやらない」と証言します。し
かし、「脱走兵」の彼は有効な身分証明書を所持しておらず、スイスにい
る他の数百人のアンゴラ難民と同様、強制送還の措置が適応されます。
親しい友人達は、彼のスイス居住権を求めて約200人の署名を集め、
ジュラ州大臣ロット氏に請願書を送りました。その結果、2月2日の送還
は免れ今年6月末まで滞在出来ることになりました。しかし・・・「それ
でも僕は刻々と近付く死刑を待つ囚人には変わりない」と泣き崩れた彼。
そう、滞在日数が延びたからと言って彼の送還が中止されたわけではあり
ません。この対応の鈍さの理由の一つに、最近横行する「アフリカ人の密
入国・麻薬売買・凶悪犯罪」という社会問題が影響していると素人でも判
断できます。「彼の滞在を認めれば他のアンゴラ人にも同じ措置を取らね
ばならない。だから事は簡単ではないのだ」と大臣は弁明します。
私の友人、エクアドル出身の女性がこの請願活動者の一人です。彼女は
一軒一軒家を回って署名を集めました。「このサインで一人の人間の命が
救えるなら」と願い、私と夫も署名しました。近々、彼を招待して交流会
が開かれる予定です。私も是非参加し、彼と直接話したいと思います。一
体、私達に何が出来るのでしょうか? 請願運動・・・彼への激励・・
・。しかし、何をどう考えようと、過酷な運命に実際に身を晒してきた彼
の前では「他人事」になってしまう・・・。そんな自分が偽善者のように
思え、苦しい気持ちになります。暖かい家の中で家族と暮らし、毎日御飯
を食べ、学校や職場に行く・・・それでいて、食品の質が落ちたのに物価
が高いだの仕事が忙しくてストレスが溜まるだのと不満が言える贅沢さ。
私達にとっては「当たり前の」日常生活すら許されず、いとも簡単に抹殺
されていく人々が地球上には数多く存在するというのに・・・。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年1月25日
天 気 みぞれ後晴れ
特派員 マルキ明子
題 名 ある事件に思う
ニュ−ス
1月24日付「ル・クォティディアン・ジュラシアン」に掲載されてい
た記事です。ポラントリー市内のプロテスタント教会で、二女性がイスラ
ム教の秘教義(スーフィ教と言う名の一派)を基にして創作した詞を朗読
し、同時に数種類の東洋の楽器の演奏をするという個性的な舞台を演じる
予定でした。この教会ではクラシック音楽などのリサイタルが度々開催さ
れます。ところが前日になって地方教区代表者が「教会を貸さない」旨を
演劇者に電話で通達してきました。明白な理由は明かされませんでした
が、内容が宗教的に好ましくないと判断したと想像されます。動揺しなが
らも彼女達は別の会場を何とか探し、無事上演に漕ぎ着けました。新聞記
事でしか劇の内容を知ることが出来ませんが、演劇者曰く、「宗教的な意
図は全く無い。愛を熱望し普遍性を持っている。頭で理解しようとせず音
楽や珍しい発音を通して別世界に入り込んで欲しい」作品だそうです。
この事件から、私は2001年の冬に参加した宗教フォーラムを思い起こ
しました。プロテスタント教会が主催し、カトリック、ユダヤ、イスラム
の信仰を持つ代表者が集まって公開討論を行い、融和を目指すという画期
的な会議で、友人のモロッコ女性がイスラム信徒代表として出席。私は聴
衆として参加しました。開催前、プロテスタント側が「カトリック代表を
呼びたくない」とごねていたという話を聞き、少し不安が有りました。ユ
ダヤ教徒代表のロルフ・ブロッホ氏(有名なチョコレート会社の設立者、
故・カミーユ・ブロッホ氏の子息)以外は全て普通の家庭の主婦で、和や
かな雰囲気で行われると思われたものの、プロテスタント代表者がのっけ
から個人的経験に基づいてカトリックを中傷し、妙な雰囲気が漂いまし
た。さすがに財界人として場慣れしているブロッホ氏はユダヤ人代表とし
て気負うのではなく、「私はユダヤ人だが別にユダヤ教会に足繁く通って
いるわけではない。だから悪い見本です」とユーモアを交えながら異人種
・異文化の共存について話していました。
ところが代表者が一通り意見を述べ終え、聴衆が発言し始めた時、雰囲
気は一挙に悪化しました。「私の前夫はアラブ人だった。彼の友人を食事
に招待したら豚肉料理を拒否された。スイス在住なのにどうしてそこまで
意固地なのか」「僕はジャーナリストで、ボスニアに行った。キリスト教
会が放火され炎上しているのを見た。どうしてイスラム教徒はあんなこと
をするのか?」等と感情的な質問が飛び、それまで冷静だった友人が顔色
を変えて反論し始めました。司会者は事態を積極的に収拾せず、やがて時
間が来て物別れに終わり、何とも後味が悪い「平和フォーラム」となりま
した。「頭にきて取り乱してしまった。皆が私を敵視しているように思え
て」と怒る友人。せめて怖気づかずに自分なりの意見を述べていれば・・
・私も悲しく、後悔の気持ちで一杯でした。
後日談ですが、聴衆として参加していたユダヤ系男性(中学校教師。プ
ロテスタント女性と結婚)が友人一家を食事に招き、信仰や世界情勢につ
いて興味深く話し合い、その結果「お互いに希望を持った」と聞いて少し
救われた気持ちになりました。
のんびりとした小さな町で垣間見える様々な現実に衝撃を受けながら、
私自身は「誠の信仰とは異なるものに対して寛容に接すること」と信じて
やみません。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年1月19日
天 気 曇り後晴れに期待?
特派員 マルキ明子
題 名 外国映画に見る日本
ニュ−ス
ポラントリー市唯一の映画館は家から徒歩2分。最新映画は全て「フラ
ンス語吹替版」です。「映画は原語で見て字幕を読みたい」私達夫婦は、
一時間ほど車で走り、バーゼル市の映画館に好んで行きます。(原語版と
吹替版の時間が分かれており、原語版はドイツ語・フランス語両訳が下に
出る)
先日、トム・クルーズ主演「ル・デルニエール・サムライ」(仏題)を
ポラントリー市の映画館で見てきました。我が家で購読しているル・クオ
ティディアン・ジュラシアン」誌にこの映画の批評がすこぶる好意的に掲
載されていたので興味を持ち、すぐに見たくなったのです。この新聞には
年齢制限がある映画には必ず○歳以上と注意書きがあります。厳守されて
いるかどうかは疑問ですが、暴力シーンが多い今日この頃、子供と一緒に
行けるかどうか、親にとっては目安になると思います。(同じ作品でも映
画館によって年齢制限が違っています。ちなみにこの映画はポラントリー
市では12歳以上、ヌーシャテル州ラ・ショー・ド・フォン市では14歳
以上。ハリーポッター2は確か10〜12歳以上でした)
映画館の収容人数は500人ほど、そのうち100席ほどが予約専用。
後ろに固まっていて一列毎に段差があり、しかも幅広のソファ椅子
で快適に鑑賞できます。初日で混んでいるだろうと電話予約しましたが、
正解でした。開演時間になっても長蛇の列が雨の降る屋外にまで並んでい
たからです。予約席・当日共、大人13フラン。1000円少し、という
値段です。20歳前後の若者を多く見かけました。
映画が始まってみると、英語部分はフランス語吹き替えだったものの、
日本語は字幕付で、安心しました。内容についてはこれから見に行かれる
方の為に書きませんが、私的には、単なる娯楽大作というより、日本人と
してのアイデンティティを考える機会を与えてくれた素晴らしい映画だと
思いました。日本を代表する俳優さんの演技を見られたことも感激で、ニ
ュージーランドロケとは言え、景色も美しい。桜を見るだけで涙ぐんでし
まう私はやはりどこまでも日本人ですね。
外国人と結婚し外国に住む私ですが、「日本は外国文化を受け入れたこ
とで日本古来の大切な何かを失ってはいないだろうか?」と考えてしまい
ました。また、刀を魂と考え、武士としての誇りをかけて戦う男達を「野
蛮人」扱いし、西洋式最新兵器で一掃することが果たして「文明開化」な
のでしょうか? 歴史を塗り変える為には、時代の流れに追従しきれない
者を排除し、悲劇を伴っても当たり前と思わなければならないのでしょう
か? 映画が終わった後も悶々と考えに耽ってしまいました。
外国映画の中の日本の描写というと、何かと誇張され偏見に満ちたもの
も多いのですが、この映画は激動の歴史を人類普遍のテーマ「文明の功
罪」と共に描いたことで一線を画していると思います。映画を見た人から
何か聞かれた場合には、自分の意見も交えながら当時の日本の立場をきち
んと説明したい、その為には外国在住を言い訳にせず、日本史をおさらい
し、それなりの知識を身につけておく必要があると実感しました。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年1月12日
天 気 大雨
特派員 マルキ明子
題 名 長屋通りの三王祭り
ニュ−ス
先日、ご近所でパーティがありました。文字通り駅から伸びる「駅通
り」(現在ギュスターヴ・アムウェグ通りと改名。しかし住民は駅通りと
言う名を愛し、頑固に使い続ける)と、駅通りに垂直に交わる「シナゴー
グ通り」、この二本の通りの住民だけが招待されます。駅通りに住むショ
ファ校長先生夫妻が毎年、8月15日と1月の上旬に企画してくれます。
1月のパーティは「三王の祭り」と呼ばれる行事にかこつけています。
1月6日の「公現の祝日」(エピファニー)は、キリスト誕生の際に東方
の三博士(三王)が訪れた、という聖書でも有名な話が基になっていま
す。この日は休日ではありません。一つの風習として、お店で季節商品と
なっている菓子パンを買ってきます。六つに区切られているパンを一部分
ずつ取って皆で回し、中に隠してある小さな王様の人形(大抵プラスティ
ック製)が入っていた人が勝ち。一座の王や女王となって命令出来る、と
いう他愛無い遊びです。
会場は校長先生の勤める中学校の食堂。皆で軽い食事を持ち寄り、様々
な手作りのお菓子やケーキが並び、壮観です。私はハム・玉ねぎ入りパイ
を作りました。集まるメンバーは大体決まっているのですが、お互いに忙
しくて擦れ違いざまに「こんにちは、元気? 寒いよね」などと慌しく挨
拶をするだけの日常と違い、年に二回、じっくりと膝をつき合わせて話せ
る良い機会です。自らも忙しいであろうに、音頭を取る気さくなご夫妻に
感謝です。例の菓子パンはご夫妻が全員に振る舞って下さいます。
今回は同じテーブルだったパリ出身のおばあさん、そして娘の友達のお
父さんとじっくりお話しました。「私は1946年にパリからスイスに移民
してきたけど、当時はフランス人ってだけでいじめられて辛かったわよ。
だから今の難民の気持ちも分かるの」とおばあさん。肌の色も言語も宗教
も同じ、でも、当時は「フランス人=闇商人」という胡散臭い目つきで見
られたそうです。フランス人に対する偏見は無くなりましたが、ある特定
の国の人を「麻薬商人」と疑問視する現在にも通じる状況です。もう1人
の男性は、高校のドイツ語の先生(母親はドイツ人)。「僕はドイツ語教
師として失敗したね。4人いる娘の誰にも仏・独バイリンガル教育を施せ
なかった」と本音を吐いてくれました。私が「日本語で話しかけているの
に娘達はフランス語でしか答えない」と言うと、「それでもずっとずっと
日本語で話しなさい。いつかきっと、二ヶ国語を母国語に持つことは素晴
らしいことだと気づいてくれるから」とアドバイスをくれました。また、
数十年前の学生の寄宿生活(今の学生はアパートに住みたがるが、当時は
寡婦が生活の為に自分の家の部屋の一部を貸し、学生は昼・晩は彼女が作
る御飯を食べていた)についても話してくれました。
「明子、小説の売れ行きはどう? フランスで読めなくて残念だわあ。頑
張ってね!」といつも声を掛けてくれる暖かい人達。ちょっと長めの長
屋、という雰囲気のこの二本の通り。普段はそれぞれ忙しくしていても、
集まると楽しく騒ぎ、かつ他人への思いやりも忘れない。大都会では失わ
れつつある人情味ある光景が、この田舎町ポラントリーの一角にはまだ残
っているような気がします。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2004年1月3日
天 気 曇り空で雪景色
特派員 マルキ明子
題 名 頑張れ!サラ・マルキさん!
ニュ−ス
明けましておめでとうございます。今年もオリジナルな話題をスイスの
片隅からお届けします。どうぞよろしくお願いいたします。新年第一回目
ということで、元気の出るお話をしたいと思います。
「サラ・マルキ」さんは親戚ではないのですが、夫の実家の隣村出身の冒
険家です。17歳の時に初冒険(馬に乗ってトルコ・アナトリア高原を横
断)に成功して以来、世界各国の横断に挑戦し続けています。今回はオ
ーストラリア。TVで特集が組まれ、新聞も大きく取り上げていました。
2002年6月20日にアリススプリング市を出発し、17ヶ月かけて14,000
km(パリ-北京間に等しい)を一人(途中から犬のジョー君が同伴)で
歩き抜き、2003年11月15日に出発地点に戻ってきました。キャンプ
道具だけの軽装備で食糧らしい食糧は持たず、草花、時には小動物をパチ
ンコや網等で捕獲して食べました。(海沿いでは食物が豊富)水の確保は
困難を極め、夜露を細々と溜めたり、やっと見付けた水源が塩水でがっか
りしたこともあったそうです。見知らぬ植物も食べるので度々お腹を壊し
たと笑って語っていました。オーストラリア動物愛護協会の規制が厳しい
為、動物を狩猟する光景は一切撮影していませんでしたが、その他の旅の
様子はデジカメで鮮やかに再現されていました。古い大木の皮を剥いてト
イレットペーパー代わりに。「私は全てを楽しむの」とサラさん。
「時間の観念は全く無く、一日が早く過ぎた。歩き疲れてボーっとして魂
が抜けて友達に会いに行ったりしたような感覚もあった。足だけが私を前
へ前へと運び続けていた」
最終地点、あと数十mという所で感極まって泣き出し、この計画を支え
てくれた弟さんの胸に飛び込んで号泣する彼女は、それまでの鍛え抜かれ
た逞しさ・力強さから一変し、この上なく繊細で美しい姿をしていました。
彼女は旅の途中で何度か出会った原住民・アボリジニーとの交流も楽し
みました。スイスに経つ前、彼女は気球に乗り、改めて知ります。彼らの
独特の絵は、何の飛行手段も持たないはずの彼らが、遥か上空から見下ろ
した母なる大地を描き移したという、奇跡の産物だったと・・・。
一つの大計画が終わった彼女は今、少し淋しい気分だということです
が、2004年は講演会で始まり、自らの冒険を語る執筆活動にも入るそ
うです。様々な分野での活躍が期待されそうです。番組の締めの言葉です。
「一つの終わりは別の何かの始まり」
そして新年一番、皆さんに贈りたい彼女の言葉です。
「(冒険は)人生の選択なんかじゃなくて、もっと深いもの。未知の世界
にわくわくする。無計画にくすぐられる。私の関心は、今という瞬間を精
一杯生きること」
サラさんの公式サイトは美しい画像が一杯。フランス語と英語です。私
も大変楽しく拝見しました。皆さんも、是非覗いてみて下さい!
http://www.sarahmarquis.ch |
発信地 ポラントリー市
日 時 2003年12月26日
天 気 快晴
特派員 マルキ明子
題 名 クリスマスの贈り物
ニュ−ス
賑やかな日本と比べると、家族で会食して過ごすというスイスの伝統的
なクリスマスは、一年のうちで最も地味で静かなお祭りかも知れません。
24日の午後4時に店は閉まり、26日まで連休です。
クリスマス礼拝(24日の夜や深夜0時、25日の朝など)は昔と違っ
て義務ではありません。ポラントリーの聖・ピエール教会では午後5時
という早い時間に「家族礼拝」があり、小さい子供連れでも心置きなく参
列出来るようになっています。0時にはその名の通り「深夜の礼拝」があ
ります。私は小学校3年の娘を連れて家族礼拝の方に行きました。
午後5時に教会内が薄暗くなり、パイプオルガンの音が鳴り響きまし
た。教区の主任神父さんの後、高齢の神父さんのお話が始まったのです
が、なかなか軽妙で興味深く、かつ心に残ったのでご紹介します。
神父さん「皆、クリスマスプレゼントは貰ったかな〜?」
子供達「は〜い!」(礼拝というよりは子供向けアトラクションのようで
微笑ましかった)
神父さん「良かったねえ。でも、貰うばっかりでいいのかな? 君達から
何かをあげることも大切だよ・・・神様が君達にくれた最大の贈り物は何
かな〜?」(「愛!」という声が上がる)
神父さん「そう、良く分かっているね。神様は人間を愛する余り、たった
1人の息子であるイエスを救世主として我々に贈った。クリスマスとは、
その贈り物であるイエス・キリストの誕生をお祝いする日なんだ」
フランス語で「クレッシュ」(元は飼い葉桶の意味)と呼ばれる、イエ
スが馬小屋で生まれた場面の模型を、クリスマス前から公現の祝日(1月
6日)まで飾る習慣があります。
「これはハリーポッターでもロード・オブ・ザ・リングでもない、真実だ
よ。(一同笑)ある人がこの模型を盗んだ。でも、桶の中にイエスが入っ
ていなくて、“イエスが欲しかったら探して下さい”という紙が入ってい
た。この人は一生懸命探したけれどどこにも見当たらず、しょうがないか
らお店に行って買ってきた。1月になってこの模型を片付ける時、何と、
敷いたわらの中にイエスが埋もれていた。目の前にあったのに気づかなか
ったんだね。皆、イエスはいつでも傍に居るんだよ。何処にでも居る。皆
の心の中、教会の中、人々の言葉の中・・・。イエスを探してごらん。き
っと見つかるから!」
子供向けに分かりやすくした説教とは言え、このお話は私の身に染みる
ものでした。私はスイスに来てから何年も地元に溶け込めなくて悩んでい
ました。大阪の都会育ちの私にはここは田舎過ぎる、日本人が沢山いたり
日本食が容易く手に入る大きな都市に行けばスイス暮らしが楽しくなる
・・・そんなことばかり考えていました。ところが、小説を書き始め、
土地に関する知識が増えるに連れ、とてつもなく愛情を感じるようになり
ました。積極的に人と交流するようになり、外出も楽しくなりました。そ
してやっと気づいたのです。「幸福は何処にでも存在する。自分が望みさ
えすれば」。私のイエス=幸福は都市でもなく、外国における日本社会で
もなく、自分の心の中、自分を取り囲んで育む現在の状況にずっと存在し
ていたのだと・・・。
皆様が素晴らしい新年をお迎えいたしますように、心よりお祈り申し上
げます。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2003年12月15日
天 気 この冬二度目の雪
特派員 マルキ明子
題 名 恵みの記念日
ニュ−ス
来年出版する小説の校正作業に忙しく、ご無沙汰してしまいました。
ちょっと古い話題になってしまいましたが、去る12月6日にポラント
リー市であったお祭りについてお話します。
この日は元々、聖ニコラの日といって、サンタクロースに似た格好の聖
人が良い子に贈り物を渡しに来る日です。聖ニコラについてはまた来年
(この連載が続いていたら!)お話しするとして、2003年のこの日は、
市に水道が誕生して百年目。記念行事が水道局(ガス会社と同じ会社)
の主催で行われました。夕方5時に市民ホール前に集合。5時半に旧市街
の大通りの電気が全て消され、子供達は親に連れられ、幼稚園や学校で手
作りしたランプ(日本の提灯に似ている)を手に、家族共々歩きます。数
分歩き、到着地点は州立高校前広場。ここには1862年に引かれた源泉
水が湧き出る「白鳥の泉」があり、その当時も盛大に祝ったそうです。
古来より源泉に恵まれたポラントリー(Porrentruy)は、その名の
由来もドイツ語のBrunnen(ブルネン=泉、井戸)から来ると語源学研究
でほぼ確定しています。(フランス語で「ポラントリー市民」は
Bruntrutain、ブラントルッテンと呼ぶことも証拠の一つとして挙げられ
る)しかし、19世紀末までは数箇所ある公共の泉か、井戸を所有してい
る家でしか水が供給されず、不衛生な水によりチフスが蔓延したこともあ
りました。こうした問題を「1903年完成の水道」が解決しました。
上記のような水の歴史を市長さん他二名が朗々と語り、百周年を祝う言
葉とされたのですが、余りの寒さに参加者は広場中央でゴウゴウ燃える巨
大な焚き火の前でガタガタ震え、校舎内に逃げ込む者も大勢居ました。私
達家族は冬場の祭りにお馴染みの「暖かいワイン(赤)」を飲んでから、
旧イエズス会礼拝堂に入り、「手作り人形によるキリストの生涯展」を
見に行きました。入場は無料ですが、寄付金は地元出身の女性が発起人
となって設立したインドの孤児院へ送られます。その後、広場に戻り、
水道局が無料で振る舞った焼きソーセージ(二、三種類)とパンにかじり
つきました。ケチャップとマスタードも付いてお替わり自由です。約千人
も集まっていたというのに何という大盤振舞!
勿論、子供達待望の聖ニコラも登場! しかし、大勢の子供が一気に押
しかけ、聖ニコラさんだけでは対処し切れず、私の娘は代理の男性からお
菓子の包みを手渡されました。中身は「みかん、殻つきのピーナッツ、
クッキー、チョコレートなど」。この季節、どこに行っても子供達に配ら
れるささやかなものですが、何袋貰っても幸せそうです。
小さな町の大きな歴史的イベントは大盛況に終わりました。零下の屋外
でソーセージを焼いたりパンやワインを配る水道局の方やボランティアの
人々、万が一の事態に備えて待機している消防士さん達。無名の人々の努
力がイベントを支えていることを忘れてはなりません。寒空の下でも心温
まり、普段何気なく使っている水の歴史の勉強にもなった素晴らしい夜で
した。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2003年12月2日
天 気 海抜400mは雨模様(高地は雪?)
特派員 マルキ明子
題 名 ブラス王国・スイス その2
ニュ−ス
11月29日、第29回スイスブラスバンドコンクールのメイン会場と
なったモントルー市・ストラヴィンスキー・ホール(有名なパレスホテル
の斜め向かい)周辺には、早朝より、次から次へと大型バスが横付けさ
れ、大会参加58バンドの音楽家や関係者・観客が降り立ちました。町の
中心街が色とりどりの制服に身を包んだ音楽家でごった返し始めます。
コンクールはストラヴィンスキー、そして同じ建物内の小規模な会場マ
イルス・デイヴィス・ホールの二箇所で行われます。朝7時半にくじ引
き。演奏の時間帯に合わせて会場入りしますが、時間に余裕があれば別の
リハーサル会場(夫のバンドの場合、隣村の小学校)で練習を重ねます。
私は夫の村の人々と一緒に早々とコンクール会場入りし、お目当てのバン
ドを見てはホール内に設けられたカフェで一休みし、和気あいあいと過ご
しました。ホール内には簡易食堂、ワイン・カクテルバーや、ブラス楽
器、CD、楽譜、コンクールグッズの売り場も特設され、待ち時間を潰せ
るようになっています。
エクセレンス(最高レベル)クラス(ECJが参加。11月25日のニュ
ース参照)と第二クラス(夫のバンド参加)の審査員はスイスから2人、
イギリスから1人。音楽家や観客を直接見ることが出来ない磨りガラスに
囲まれた個室に籠もり、ひいきや先入観の無い状態で審査します。バンド
の名前すら知らされず、演奏の順番に点数を付けていくそうです。あるバ
ンドは5分遅刻。演奏はしたものの失格、順位を剥奪されました。かなり
厳しい世界です。夫のバンドは初参加。健闘したものの、16バンド中
11位。ECJも10バンド中9位と、少し残念な結果に終わりました。
来年も一層、頑張って欲しいです。ちなみに最高レベルでの優勝はルツェ
ルンのバンド。完璧、かつ堂々とした演奏でした。場慣れしている感じも
しました。
審査員から見えないという点を生かし、どのバンドも最高の状態に「聴
こえる」ように工夫を凝らしているようでした。本来はソプラノコルネッ
トのパートの筈が、第一コルネット奏者がトランペットピッコロに持ち替
えて吹いていたり、という具合に役割転換が盛んに行われていました。
今年はイギリスのブラス作曲家エリック・ボール氏(Eric Ball、
1903-1989)生誕100周年を記念し、第一〜第四レベルの課題曲として
ボール氏の楽曲がそれぞれ選ばれました。ブラス音楽に馴染みがなくて
も、分かり易い曲調です。ただ、難易度がやや低いということで、エクセ
レンスだけはチューリヒ生まれの新進作曲家オリヴァー・ヴェスピ氏
(32)(Oliver Waespi・上記の審査員の一人でもある)の、やたら不協
和音の多い難解な曲が選ばれました。(素人判断ですが)
全クラス終了後、リラックスした音楽家や関係者でごった返すホールは
「まるで平成花火大会終了後の梅田駅のよう(大阪の地元ネタですが)」
と、夫と笑い合いました。活気に満ちた会場内で人々の輝く顔を見ている
と、どんなジャンルの音楽も心置きなく楽しめる状況にある私達は、ごく
当たり前のようで、実はこの世で最高に贅沢かつ幸福な生活に恵まれてい
るのだと、スイスでの平和な暮らしをしみじみありがたく思いました。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2003年11月25日
天 気 曇り空
特派員 マルキ明子
題 名 ブラス王国・スイス その1
ニュ−ス
「ブラスバンド」(英語をそのまま使用)の定義は、日本のクラブ活動や
イベント等で演奏している「ブラスバンド(=吹奏楽隊)」とかなり離れ
ているかも知れません。まず、ブラス(金管楽器)というからには、ブラ
ス楽器のみの楽隊(木管楽器は含まない)を意味します。そして編成にお
いても、ソロコルネット4人、ソプラノコルネット1人、トロンボーン3
人、等と数が決まっています。それ以外の編成のブラス楽隊はフランス語
で「ファンファー」(fanfare)と呼ばれ、共同体の数だけ存在すると言っ
ても過言ではないほどスイスでは人気のある活動分野です。
私の住むジュラ州はブラス楽器が盛んな地方で、人口が500人規模の
小さな村でさえも必ずといっていいほどファンファーを所有しています。
夫の出身村メルヴェリエ(Mervelier)のファンファーの創立は1865年。
現在はブラスバンドの編成です。秩序立てられた制度だと感心したこと
は、この村を含めた三つの村が共同で小学生ぐらいから加入出来るジュ
ニアバンドを作り、年長者が赴いて子供に音楽教育を施しています。
見込みのある子を大人のバンドに引き抜き、やがてその中でも優秀な者は
更に上のレベルの「ブラスバンド」を目指します。アンサンブル・ド・
クィーヴル・ジュラシアン(Ensemble de cuivres jurassien、以下
ECJと略)がその一つです。椅子の数は決まっているので狭き門ですね。
勉学や仕事、家庭生活との両立も大変です。そんなわけでトップレベルの
音楽家に20歳前後、独身の若者が多く見受けられます。
ECJのHPはhttp://www.ecj.ch、メルヴェリエ村のブラスバンド
のHPはhttp://www.eccm.ch、いずれもフランス語のみですが、ブラス
バンドに興味のある方は覗いてみて下さい。メルヴェリエ村のHPには
結成当時からの古い写真もあれば村を含むジュラ地方史も細かく記述され
ており、資料としても貴重なHPとなっています。
定期コンサートや式典での演奏の他、年間を通して地方・全国レベルの
様々なコンクールがあります。その中でも毎年11月末に行われるモント
ルー(Montreux)でのコンクールはブラスバンドにとって最も重要な
イベント。モントルーはジャズフェスティヴァルで有名な町ですが、この
日はブラスバンド一色になります。今年も、我がジュラ州からはECJが
最高レベルのエクセレンス(Excellence)に参加します。その下は第一〜
第四クラスというレベル別に演奏します。メルヴェリエは第二クラスに参
加し、夫は助っ人として参加します。コンクールでは課題曲を一曲演奏
し、審査員の総合点数で順位を競います。
次回のニュースでは11月29日のコンクールの模様を紹介します。 |
発信地 ポラントリー市
日 時 2003年11月22日
天 気 曇り空
特派員 マルキ明子
題 名 聖マルタン祭と食いだおれ
ニュ−ス
スイスの暦には、1月2日はバジル、1月21日はアニエスというよう
に、ほぼ毎日人名が書かれています。これは聖・誰々の日と呼ばれ、
11月11日は聖マルタンの日。マルタンはガリア―ローマ時代に貧しい
人々を救済した伝道者です。しかし今日はキリスト教の話ではなく、
ポラントリーを中心としたアジョワ地方独特の祭り・・・この日に近い
週末、豚肉料理を食べ続ける「聖マルタン祭」をご紹介します。
祭りの起源には色々な説がありますが、総合するとこのようになります。
収穫が終わり、脂ののった家畜の屠殺が行われ、農民は一年の仕事を終え
ます。以前は収穫物や肉を売ったお金で税金を払い、これで年を越せると
ほっと一息つく時期でもありました。人々は週末を通して食いだおれ飲み
だおれ、なんと、この地方だけ月曜日は休日。収穫祭の翌日は休肝日、胃
腸を調整する日ということですね。
シュヴネという人口500人ほどの村は俗に「聖マルタン祭の首都」と
呼ばれ、最も盛り上がります。レストランだけでなく、公民ホールに特設
された食堂はこの週末、半年や一年も前から予約をしている人で満員にな
ります。夜の部では8時頃から食べ初め、最後のデザートが終わるのは深
夜過ぎ。ただ黙々と食べるのではなく、ミュンヘンのビール祭りのように
歌ったり踊ったりと会話も出来ないぐらい賑やからしいです。今年はこの
特設食堂に470人余り(村の人口とほぼ等しい!)が集まりました。
さて、私達夫婦は友人夫婦を誘ってこの祭りに参加したかったのですが
予約が遅れてどこも満員。結局、祭りから10日ほど後、希望者に聖マル
タンメニューを作ってくれるというレストランに行ってきました。時期外
れということで皿数が少なくなっていましたが、それでもボリュームたっ
ぷり。以下が私達が食べた料理です。
・・・豚の頭の一部の煮汁を固めたゼリー(豚肉のパテとゆで卵、ピクル
ス、にんじんのスライスが中に閉じ込められている)
・・・boudin(ブダン=豚の血と脂で作った腸詰・長さ20?p余り、
りんごのコンポート(砂糖煮)を付けながら食べる。赤色の砂糖大根
(ビーツ)のサラダ付
・・・焼ソーセージ、atriaux(アトリオー=豚ミンチとレバーを混ぜ合わ
せた丸いハンバーグ)、Roesti(レシュティ=短冊状に切ったじゃがいも
をフライパンで丸く焼いた物)の盛り合わせ、ゆでにんじんのスライス付
・・・デザート=キャラメルクリーム、又はリキュール入りシャーベット
今回食べ逃した(?)料理は、コンソメスープ、キャベツの酢漬け煮
(豚肉の燻製とベーコン付)、ローストポーク、豚骨付きあばら肉など。
皿数は減っても、お喋りに興じた為、(レストラン内の客はたった二組
で静かでした)九時前から食べ始めて食べ終わりは午前0時。当然の如く
翌日は胃もたれに悩まされました。それでも私達は「楽しかったから来年
こそは早めに予約して正式な聖マルタン祭にしよう!」と張り切っていま
す。私達が行ったレストランはChevenez(シュヴネ)村の
Cheval Blanc(シュヴァル・ブラン)。味も自信を持って保証します!
豚肉料理の大好きな方、この豪胆な祭りに一度参加してみませんか? |
発信地 ポラントリー市
日 時 2003年11月16日
天 気 曇り時々雨
特派員 マルキ明子
題 名 奇跡の聖母
ニュ−ス
次回作の校正作業に追われていたせいで、しばらくご無沙汰してしま
いました。今日は、その小説の中にも登場する、幼いイエス・キリスト
を抱く聖母像について書いてみたいと思います。
ポラントリーの旧市街にそびえ建つ聖・ピエール教会。そこに「奇跡
を起こした」と言われている聖母像が安置されています。十七世紀、三
十年戦争の折、フランス・アルザス地方の尼僧達がこの聖母子像を携え
戦火を避けてこの町に逃げ込んできます。1634年、スウェーデン軍が
町に迫って来た為、尼僧達がこの像を軍の方角に向け夜通し祈った所、
翌朝、深い霧が町を覆います。町を見下ろせる筈の丘に辿り着いていた
スウェーデン軍は様子が分からず、退却していきました。
「町を戦火や略奪から守った」と、町の有力者達はこの奇跡に感謝し、
軍が立ち止まった場所に礼拝堂を建立し、聖母子像は時を超えて大切に
保存されるようになりました。
フランス革命の功罪のうち、マイナス面に、文化財の破壊という事実
があげられます。スイスでも、「権威に関するもの」と決め付けられた
多くの宗教関係建築物(司教の館や修道院など)が革命軍によって破壊
・または閉鎖されました。革命軍はこの聖母子像をパリの美術館に売り
払おうと目論んでいたそうですが、一人のポラントリー市民の機転によ
って略奪を免れたお蔭で、この町に今も保管されているのです。
「奇跡の」と銘打たれていても、実際は小さな可愛らしい、どちらか
と言うと地味な像です。小説の中ではこの像との出会いにより、主人公
の人生が少しずつ変えられていく、という鍵を握る役割を与えています。
「眉唾なお話」と敬遠しないで、ポラントリーを訪れる機会があれば是
非この像を見にきてはいかがでしょうか? 何か見出せるかも・・・?
ちなみに私は小説のインスピレーションを与えていただきました!
宣伝になってしまって恐縮ですが、聖・ピエール教会の一部をモチー
フに、次回作「レクイエム」のお知らせを作りました。よろしければ
下のリンクをご覧下さい。尚、出版予定日は1月から2月11日に延期
されましたのでご了承下さい。
http://www.home.datacomm.ch/edelwiss/akiko/requiem.htm |
発信地 ポラントリー市
日 時 2003年11月2日
天 気 曇り時々晴れ
特派員 マルキ明子
題 名 留学生を通して学ぶ
ニュ−ス
先日、友人のフランス人夫妻の家に短期滞在していた日本の高校生の
女の子をお招きしました。彼女はAFS(American Field Service)という
協会を通じて、スイスフランス語圏のNyon(ニヨン)の高校に留学中です。
友人の家には学校が秋休みの間だけ、滞在していました。
協会の成り立ちや留学資格・手続きなどは下記のHPを参照にしていた
だくとして、私は彼女と約3日間に渡って交流した印象や自分なりの
考えを書きたいと思います。
「何故スイスを選んだのか」という私の問いに、彼女は「スイスは比較的
治安が良いと聞いていた。スイスの文化、ヨーロッパに興味があった。
英語は日本で誰でも学ぶので、他の言語を習得したかった。ヨーロッパ
の子供達の自立心を見習いたかった」と、次々と答えてくれました。
全くフランス語を解さない状態でスイスに到着した彼女は、日本語が
一切通じないスイス人家庭にホームステイし、現地高校に通います。
それでも八ヶ月経った今、彼女はフランス語でのコミュニケーションに
不自由しないほど上達していますし、勿論、筆記の方は日本人らしい
勤勉さで、かなりのレベルにまで達しています。その上、丁寧で礼儀
正しい言動にも大変好感を持ちました。
私が17歳の時、彼女ほど多面的な考えに基づき、積極的に行動し
ていたでしょうか? 英語が大好きで海外で暮らしてみたいという漠然
とした憧れはあったものの、大学入学だけを目的とした勉強を嫌々なが
らしているという状態で目先のことしか考えられませんでした。そんな姑
息な過去の自分と比較してみて、「もしかしたら高校二年をもう一年する
かも知れないけど」と笑っていた彼女のきっぷの良さにはただただ尊敬
の念を覚えるばかりです。
今だからこそ見え、言えることなのですが、「可愛い子には旅をさせよ」
ということわざ通り、まだ考え方が柔軟な若年のうちに海外と言う言語も
文化も全く異なった環境に敢えて身を置き、一年か二年、お決まりの「レ
ール」(受験や就職といった)を外した自分自身や将来に向き合う期間を
作ることも必要ではないでしょうか。
あくまでも自然体の彼女を見ていると、「国際感覚」とは語学力や知識
に基づくというより、異質の文化を受け入れる寛容さと探求心、困難を自
力で解決するタフな心身が第一だと身を持って証明してくれているような
気がします。彼女が一年間スイスで学んだことは、生涯の糧となると信じ
て止みません。
AFSはボランティアで成り立つ協会ですが、留学生を受け入れる家庭
もボランティアです。彼女を受け入れた友人は言います。「私は留学生を
我が子として見ている。いわゆるベビーシッターやお手伝いさん的な役
割で受け入れるのではない。だが、我が子だからこそ留学生は私達と
同じものを食べ、この土地の文化を学び、家族には敬意を払って欲しい」
留学生とホストファミリー、この二者が互いに上手くかみ合った時、真の
意味で「国際人」が養成されるのではないでしょうか?
留学やこの協会に興味を抱いた方は、是非HPを覗いてみて下さい。
http://www.afs.or.jp |
発信地:ポラントリー市
日 時:2003年10月20日
天 気:雨のち曇り
特派員:マルキ明子
題 名:自然の驚異
ニュ−ス: 今日はジュラ州の観光名所、一般に「Grotte de Reclere」(レ
クレー
の洞窟)と呼ばれている鍾乳洞についてご紹介します。バーゼルから約50km、
フランス国境間近に迫る小さな村にあります。同敷地内にはPrehisto Pa
rc
(直訳すれば先史公園)という名の、恐竜の模型を眺め、生態を学びながら森林
の中を散歩出来るという巨大な公園もあり、休日には観光バスが何台も停まる
ほどの賑わいです。
私達家族は秋休みで遊びに来ていた姪二人(7歳と6歳)を連れて鍾乳洞のガ
イドツアーに参加しました。20人余りの団体を案内するガイドさんは高校生ぐらい
の生真面目そうな男の子。フランス語とドイツ語を交互に喋って説明してくれまし
た。洞内の温度は年間を通して7℃ほど。600段もの階段を上り下りして地下
75mまで辿り着きます。1,5kmの道のりのあちこちに鍾乳石(上から垂れ下が
っている)、石筍(せきじゅん・下から上に向かって伸びている)がそびえ立ち、勝
手に命名したとは言え、それらしく見える形をしています。面白い名では「背を
向ける嫁と姑」、「舞踏会(指揮者と4人の音楽家がいる)」「ナポレオンのコート
(軍隊用のマント)」等。後は見てのお楽しみ。
45万年前に出来た鍾乳洞内のこれらの鍾乳石や石筍は、滴り落ちる石灰水
によって100年間にたった1cmという遅さで地道に形成され、「大ドーム」は25
万年もかかって築き上げられた自然の超大作でスイス一巨大な石筍と言わ
れています。人間の寿命など石柱達の1cmの成長にしかならないのだと思うと
何と我々はスケールの小さい生き物なのだろうと感慨に浸らざるを得ません。
私の手をしっかり握っていた姪は、「ねえアキコ、私、何が何だかぜーんぜん、
分からない!」を連発していたので、「曾おばあちゃんは83歳で亡くなったで
しょ。曾おばあちゃんが生きている間、この石は1cm足らずしか大きくならなか
ったの」と説明すると、分かったようなそうでないような、まだクエスチョンマーク
が一杯の顔でうなずいていました。
洞の底には小さな湖があり、中には盲目のザリガニ(?)が住んでいるそうで
す。また、あちこちに取り付けられたライトに寄り添うようにポヨポヨと植物が生え
ていて、「たくましいなあ」とただただ感心。約50分間、私は修学旅行生気分で
偉大なる芸術作品をひたすらきょろきょろと鑑賞していました。
残念ながら12月2日から3月28日までは休業。開業中もガイドツアーは毎時
出発というわけではありませんので、まず電話などで予約か確認をした方が
良いでしょう。HPのリンクを貼りますので、興味のある方は覗いてみて下さい。
http://www.swissgrottes.ch/situF.htm
残念ながら現在のところフランス語のみですが、スイス各所の洞窟の詳細が
載っています。上記の「レクレー」は三角印の一番です。鍾乳石・石筍の幾つか
も見る事が出来ます。
ホテル・レストランだけでなく、キャンプ場やバーベキュー施設も整っています。
太古に思いを馳せながら家族でバカンスを過ごしてみてはいかがでしょうか? |
発信地 ポラントリー市
日 時 2003年10月12日
天 気 爽やかな秋晴れ
特派員 マルキ明子
題 名 バイリンガルの町にて
ニュ−ス
「○○の歩き方スイス版」という有名なガイドブック
をお持ちの方はご確認下さい。ドイツ語名がBiel(ビ
ール)、フランス語名がBienne(ビエンヌ)、という
町がバイリンガルの町として紹介されています。人口
の7割近くがスイス・ドイツ語を話す人々ですが、通り
の標識や店の案内など、至る所で独・仏両方で表記さ
れています。
この町の紹介の冒頭部分に「右の人とドイツ語で話
し、左の人とフランス語で話す・・・三ヶ国語話す人
はザラで5、6ヶ国語話してようやくたいしたもんだ
となる・・・」と書いてありますが、これは決して誇
張ではありません。
先日、日本人の友人とこのBiel/Bienneを散策して
きました。(私の住む町から電車で南に下って一時
間ほど、ベルン州にあります)友人はドイツ語圏在
住で、私はフランス語圏の人間。ということでカフェや
店ではそれぞれの言語で注文したのですが、どこで
も店員さんが両方の言葉を器用に切り替えて使用
していました。残念ながら日本ではレジなどで客の
方から「こんにちは」などと挨拶する習慣はありませ
んが(挨拶は人間関係を円滑にすると私は確信して
います!)スイスでは礼儀の基本。その最初の一言
で客がドイツ語圏かフランス語圏、もしくはそれ以外
の外国人(例えば英語でHelloと挨拶したら)か即断
し、その言葉を使ってくれます。
さて、我が地元・ジュラ州はどうか? というと、
これまた残念ながらフランス語のみ、という方が
確率的にはまだ多いようです。若い人は音楽や映画な
ど文化的な影響か、学校で第二必須言語として習わさ
れるドイツ語よりもむしろ英語に興味があるようで
す。(これはドイツ語圏でも同じでフランス語より英
語を第二必須言語にしようという動きがある)語学学
校でもドイツ語はなかなか人が集まらなくてクラスが
編成しにくいと嘆いているのに、英語クラスは毎年大
人気です。
北に一時間ほど行ったBasel(バーゼル、仏名は
Bale)は特にバイリンガルの町とは銘打っていません
が、大抵の店でフランス語と英語が通じます。(フラ
ンス国境に近く、多くのフランス人が仕事をしにきて
いるせいでもある)
容易く国境越えが出来るようになり、外国人と接す
る機会も多い現代、一ヶ国語だけではちょっと心細い
かも? 自分の言葉を大切にしつつ、他国語にも興味
を持ち、同時に異文化を理解・尊重したいですね。地
元をこよなく愛するだけに、「ジュラ人よ、頑張
れ!」と心の中で呟いた小旅行でした。(ジュラの名
誉の為に付け加えますが、外国人に対して排他的でも
何でもなく、州内に10年在住していればスイス国籍を
持たない外国人でも州レベルでの選挙権が与えられる
という数少ない州です。私も今年から投票に行けて、
近々投票デビューの予定♪) |
発信地 ポラントリー市
日 時 2003年10月6日
天 気 久々の快晴
特派員 マルキ明子
題 名 虹彩(こうさい)診断術
ニュ−ス
・・・って皆様、聞いたことや体験したことはありま
すか? 仏語では"irido-diagnosticというのですが、
虹彩(瞳の周りの、日本人だったら茶色い部分)を見
てその人の器質性疾患を診断するというものです。こ
の専門家が我が町に居て、今日は夫の妹がアレルギー
性喘息の娘(つまり私の姪ですね)を連れて行きまし
た。姪は普段はとても元気な8歳の女の子ですが、激し
い運動をすると呼吸困難に陥ったり、動物の毛に敏感
に反応して体中に湿疹が出たりするのです。
目の検査をするような機械を覗き込んで目を拡大し
て見た後、先生が虹彩を図に描いて「ここが悪いから
この薬を飲みなさい」と処方箋をくれるという診断法
だそうです。先生自身は治療はしません。勧めてくれ
る薬は今スイスでかなりの人が服用しているホメオパ
シー(類似療法−治療しようとする病気と同一の症状
を起こすような毒物を使って治療する方法)の薬で
す。この薬は薬局で買えます。薬局によってはこのホ
メオパシー専門家がいてカウンセリングしてくれま
す。(ホメオパシーの薬は私もしつこい咳の時に用い
るのでまたここでご紹介することがあるかも知れませ
ん)
義理の母が、親しい友人と実母(小著の主人公のモ
デルとなった女性)の立て続けの他界で心身共に落ち
込んでいた時にここで診断して貰い、その後、回復し
ました。(義理の母は診断後、家に寄ってくれたので
すが、治療の様子を話しているうちにボロボロ泣き始
めてびっくりしたことを覚えています。すごく気丈な
人で、今まで一度も泣き顔を見たことがなかったの
で・・・。積もり積もっていたものを吐き出して気が
緩んだのでしょうか・・・)
この診断術についてフランス語版広辞苑とでもいう
"le Petit Larousse(ル・プティ・ラルース)"にカッ
コ付けで書いてあったのですが「科学的に論議を呼び
がちである」ということです。
目を見ただけで病気が分かるなんて不思議ですよ
ね。私のような凡人から見ればまさに「奇跡」とか
「透視」の世界。義理の母は何も打ち明けずに診断を
受けたそうですが、抱え込んでいた苦しみや悩みを先
生は言い当てたそうです。
去年から姪はこの治療を始めて喘息がだいぶ良くな
ったようです。(それまで色んな専門医を点々とした
けど無駄に終わっていた)科学的根拠に乏しいかどう
かは分かりませんが、姪が完治するものならこの療法
を信じてみたいと思います。
この療法について何かご存知の方があれば是非教え
て下さい。 |
日時=2003年10月2日
天気=雨が降ったり止んだり
特派員=マルキ明子
スイス・フランス語圏からニュースをお伝えする
ことになったマルキ明子と申します。どうぞ皆様
よろしくお願いいたします。
昨夜、上の娘(小学三年生)の学校で懇談会
がありました。フランス語を余り解さない外国人
の父母の中には子供を通訳として同伴させてい
る人もいました。(どうしても都合のつかない人は
別の時間に個人懇談をしてもらうことも可能です)
担任はエリック・エニ先生。
撮影した映像をPCを駆使して大型スクリーン
に映し出し、授業内容や課外授業の様子を見
せるという、私の子供の頃には考えもつかない
方法が用いられました。なるほど、フランス語に
自信の無い外国人親にも有る程度分かるし、リ
ラックスした雰囲気で紹介が進みます。(娘のク
ラスの半数はフランス語以外の言語を母国語と
する外国人です)
特に印象深かった授業内容の一部を抜き出し
てみます。(日本の方にはのんびりして見えるで
しょうが)
>フランス語・・・外部から来た年配の女性(一般
人)が物語の読み聞かせをする
>数学・・・二人一組になり、三つのサイコロを振
って合わせた数でコマを進めるというすごろくゲー
ムを通し計算力を鍛える
>ドイツ語(三年から必修)・・・同じく二人一組で
サイコロを振って出た数を例えば「Ich habe drei」
(3が出た)と何度も繰り返して言い、数字を覚える。
単語を書いたカードを裏返しにしてトランプの神経
衰弱ゲーム方式で取る。ドイツ語の歌を歌う、という
風に楽しみながら単語力をつけていく
その後、親同士が四人一組で「どうしたら子供
に自信を持たせられるか」というテーマで話し合
いました。
ポラントリーの学校関係の集まりでいつも思う
ことは、「子は社会の宝」という一貫した姿勢で
す。健全な人間に育てるために、親・周囲が互
いにコミュニケーションを図りながら団結して環
境を整えていこうと努力しています。また、学業
と共に「他人との調和や思いやり」をさりげなく、
しかしあくまでも規律正しい生活の中で取り入
れるという毅然とした理念を先生から感じました。
初めに円になって親同士が自己紹介し合った
時、心に残った言葉がありました。コソボ出身の
物静かなお父さんです。「私は難民としての人生
を歩んできましたが、娘には私のような思いをさ
せたくありません」シンプルな言葉の中に娘さん
への愛情と希望、そして平和への強い願いを感
じました。
私自身も色んな意味で大いに「学んだ」懇談
会でした。 |
|
ニュ−スの続き |